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のの中に存在する配慮がなされている点を参照すべきではなかろうか。
要はプロが演ずる大都市の歌舞伎や能、バレエ、現代劇、ショウと地方文化は価値観が基本的に異ることを、いま確認しなくてはならないのである。大都市の芸術芸能の物差しで、地方文化を計ってはいけないのである。
地方文化を演じ演出し創造するのは、その土地に住む生活者であるのだ。日本を代表する芸能というと、中央はすぐに歌舞伎や能を国際的にも推す傾向が強いが、これは日本の古式の型の表現であり、舞台化され様式化された芸能芸術なのである。
日本人の心を表現するのは、稲作と信仰を中心に生きてきた農山漁村の生活者の暮らしから創られてきた地方文化なのである。
もはや日本の歴史は、終戦までの皇国史観や学校での編年体の政治史からは何も解明出来ず、郷土史と女性史の追及こそが、日本人が生活を通して作ってきた真の歴史を物語っていくであろうと言われる時代である。
そうした立脚点に立って、地方文化をいま凝視しないと、過疎によってこのまま放置しておけば、極めて近い将来に姿を消してしまう事態が容易に予想される地方の芸術や芸能は、歴史書の紙やビデオテープによる追憶でしかなくなってしまうのである。
それはとりも直さず、日本人が心を失ったことを証明するのである。
しかし、各委員の調査報告から推察出来るが、20世紀のうちならば、どこかに基本的な形をとどめながらの維持保存は可能である。
そして、国や自治体が、「文化は最高の経済である」という観念に早く立って、欧米や第三世界のように、観光立国に本格的に取り組まないと、日本は日本人の心を形造ってきた大いなるものを失ってしまうことになる。
矛盾はふるさとの祭りを見せようとして、各種の全国芸能大会やテレビ番組などが、十分な企画や演出がないままに、ただ時間内に当てはめるだけで、本来神事や祭りによって成り立った長時間の芸能を、数分間に閉じ込めて上演させようとする傾向が強いことだ。
それ以前に完全に全部が上演出来たり、完全に復元されていればよいが、過疎のために何分の一しか上演可能でない芸能を、短時間で演じさせると、経済的に苦しい地方の保存会は、それだけで謝礼の金銭を得られるために、やがてその部分しか演じなくなっていくのである。この気持ちがますます地方文化を衰退させていっている。技術も著しく低下していく。この点からも、緊急に完全上演目指して、契機を作り、資金を充当し、発表の場を数多く設けなくてはならない。
また、日本の地方のマスコミは、外国のそれに比較して、放送も新聞も取材能力が極めて弱く、都道府県政と社会事件を扱うのに精一杯で、文化の取材はほとんど行わない。
外国では地域の文化行事であると、紙面のトップでエピソードや当日までの進行状況を
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